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Sony Semiconductor Solutions Corporation

サイバーとフィジカルの融合で、半導体産業は「第3次成長期」へ

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2024.01.09

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相澤 良晃
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池村 隆司
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高橋 潤

半導体業界のオリンピックと称される国際会議ISSCC(国際固体素子回路会議 )で60年間に最も多くの論文を発表した研究者10人にも選ばれている東京大学大学院教授の黒田忠広(くろだ・ただひろ)先生によると、「半導体業界は、第3次成長期を迎えている」と言われています。
半導体産業はどんなプロセスで成長を続け、産業の枠を超え、国家戦略に影響を与えるまでに発展していったのでしょうか。
今回は、ソニーグループの半導体事業を担うソニーセミコンダクタソリューションズ株式会社で、イメージセンサーのさらなる普及を推進した積層型CMOSイメージセンサーの生みの親である梅林拓(うめばやし・たく)さんとともに、半導体産業の歴史と未来について語り合っていただきました。

黒田教授と梅林氏による半導体産業の歴史と発展についての会話では、半導体の成長は第1次成長期で生活家電の普及が大きな役割を果たしたことから始まり、次いで第2次成長期ではパソコンやスマートフォンなどの普及により市場規模が拡大した。最近では第3次成長期として、サイバーとフィジカルの融合が注目されており、その発展には自動運転やスマートシティのような技術の台頭が関わっている。また、半導体は半世紀以上にわたって成長し、産業や国家戦略にも大きな影響を与えるほどの重要性を持っている。
また、梅林氏が開発した積層型CMOSイメージセンサーは、スマートフォンの普及に大きく貢献し、映像文化の発展に寄与した。開発のきっかけは、従来のイメージセンサーの性能劣化に対する課題に対する考えから生まれたものだった。

Contents

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    生活家電の普及によってもたらされた第1次成長期

    ――最近、ニュースで「半導体」という言葉を聞かない日はありません。なぜこれほどまで注目が高まっているのでしょうか。

    黒田 今、世界の半導体産業が、「第3次成長期」に突入したからです。そのあたりの歴史的な流れについて少しご説明しましょう。

    まず、1940年代の中ごろまで、精密機器の電流・電圧の制御には主に「真空管」が用いられていました。1940年代後半になると、真空管よりもずっと小型で、消費電力も少ない「トランジスタ」が登場。それを境にコンピューターの小型化が一気に進みます。それまではラジオにも真空管が使われていましたが、トランジスタに置き換わることで大幅な小型化が実現されました。1955年に日本で初めてトランジスタラジオを発売し、爆発的にヒットさせたのがソニーさんですよね。

    梅林 はい、そのときからソニーの半導体事業は始まったとされています。

    黒田 その後、1960年頃に現在の半導体チップの原型ともいえる「IC(集積回路)」がアメリカで誕生しました。トランジスタよりもさらに小型で高性能なICは、パソコンだけでなく電卓を始めさまざまな電化製品にも用いられ、半導体の裾野を一気に広げます。

    その後、ICの集積度をさらに上げた「LSI(大規模集積回路)」が登場すると、半導体産業はさらなる成長の時代に突入します。これが「第1次成長期」で、1982年に150億ドルだった世界の半導体市場は、1994年には1000億ドルを突破しました。この急成長を支えたのは、家電市場です。あらゆる生活家電やゲーム機などに半導体が用いられるようになり、半導体の重要度を急増させました。

    梅林拓さん(左)と黒田忠広先生(右)
    梅林拓さん(左)と黒田忠広先生(右)

    仮想空間の創出とモバイル化で市場規模が倍化

    黒田 そして、1995年頃から「第2次成長期」に入ります。その立役者となったのが、パソコンとスマートフォン。特にパソコンが一気に広まった1995年を境に、世界の名目GDPに占める半導体市場の割合は、それまでの倍の水準となる0.4%へと伸長しました。

    2000年代に入っても半導体市場は安定した成長を続け、2021年にはついに5000億ドルに到達。名目GDPに占める割合は、0.6%になりました。この頃から「第3次成長期」に突入したと言ってもいいでしょう。では、この「第3次成長期」が何によってもたらされているかというと、それは“サイバーとフィジカルの融合”です。

    梅林 というと?

    黒田 あらためて半導体産業成長の歴史を振りかえってみると、第1次は“物理空間の利便性追求”、第2次は“仮想空間の創出とモバイル化”によってもたらされたものです。そして第3次は、それらの融合。わかりやすい例が「自動運転」で、物理空間から吸い上げたデータを仮想空間のデジタルツインで計算し、また物理空間に戻してAIが車の挙動を制御する。

    自動運転だけでなく、「スマートシティ」もサイバーとフィジカルの融合なくして実現はありえません。半導体がさらに社会のすみずみまで行きわたろうとしている今、半導体市場は第3次成長期を迎えました。それで世界的な盛り上がりを見せているのです。2030年には、「100兆円」とも「150兆円」とも言われる超巨大市場に拡大すると予想されています。

    梅林 半導体は半世紀以上にわたって成長を続けていて、人類史においてとても重要な産業ですよね。これからも絶対になくならないですし、最近では「産業」の枠を超えて、「国家戦略」になっています。

    黒田 おっしゃる通りですね。

    梅林 特に日本のように資源がとぼしい国は、産業で成り立っていかないといけないので、半導体は今まで以上に重要なものになると私も思っています。

    黒田教授提供資料より編集部にて作成
    黒田教授提供資料より編集部にて作成

    映像文化を育んだ積層型CMOSイメージセンサー

    ――梅林さんは、第2次成長期を代表するプロダクトであるスマートフォンにも搭載されている「積載型CMOSイメージセンサー」の開発者です。第2次成長期への貢献について、黒田教授はどう思われますか?

    黒田 たしかに、積層型CMOSイメージセンサーは、カメラ機能の高機能化・省エネ化・コンパクト化に寄与するということで、スマートフォンの爆発的な広まりに貢献しました。最近のSNSや動画投稿サイトなど、映像文化の飛躍的な発展の一助になったと言えますね。

    梅林 ありがとうございます。今では誰もが肌身離さず高性能カメラを持ち歩いて、映像を残せるようになりましたよね。

    ――どんなきっかけで開発を思いついたのでしょうか?

    梅林 実はもともと私はイメージセンサーの担当ではなくて、2008年までは主にプレイステーション用のCPUやグラフィック用LSIの開発から生産までを担当していたのです。

    2008年4月に初めてイメージセンサーの開発担当になったとき、従来型のイメージセンサーの製造プロセスを見て、「画素のためにすいぶん論理回路が我慢させられているなぁ」という印象を持ちました。画質を優先したプロセスだったので、論理回路部のプロセスが性能劣化を余儀なくされていたのです。あまのじゃく的な考えですが、最初に考えたのは「イメージセンサーチップから画素を切り離したいな」と。

    そのあたりの開発経緯については、このあと詳しくお話しさせてください。

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